Lanaige.STORY
1.衝撃-「高価な下着との出会い」
会社員生活をしていた27歳の年に、友人より
「ランジェリーショップに転職したから来てみて。買わなくていいから。」
と連絡があり、行ってみました。
コンパクトなランジェリー専門店にディスプレイされていた商品は、美しく高額な海外ブランドのランジェリー。
お値段は当時の私にとってはとても高額なものでした。
ただ、友人がフイッテイングをさせてというので、購入するつもりはないけれど着けてみたいというランジェリーを選びフイッテイングしてもらったところ衝撃が…
ラインがとにかく美しくて、当日身につけていたお洋服までワンアップしたような、そんな感覚になったのです!
全く購入するつもりはありませんでしたが、友人の転職祝いだしここは痛い出費だけど購入しましよう!と思い切って購入して帰路につきました。
2.こだわり-「テンションがあがる下着生活」
私がその時に購入したランジェリーはフランスのコレール。
フルカップのブラジャーしか着けたことがなかった私には、3/4カップのとにかく女性の胸をしっかりとツンと際立たせてメイクするブラジャーの力に魅了されました。
友人のお祝いで仕方なく出費…と思っていたブラジャーでしたが、生まれて初めて、ランジェリーでボディを美しく魅せることによって、
「え? 痩せた? スタイルいいんだね!」
「すごく姿勢がいいね」
と言われるようになり、取るに足らない存在だと思っていた自分が急に女性としてワンアップしたような気持ちになったのです。
そこからはもう、ボーナス時期には「絶対に美しい色のコレールを1着購入!」これが私のスタンスになりました。
3.苦難-「乳がん罹患と喪失感」
そんな中、38歳の時に人間ドックで胸のしこりを指摘されました。
様々な検査を経て告知されたのは、悪性葉状腫瘍 ··· 希少な乳がんでした。
私は健康だけが取り柄の人間でしたので、ただただびっくりしたことを今でも思い出します。いざ手術の前日になった時に主治医より「竹内さんの場合、開いてみないと全摘か部分摘出か決められないから、麻酔から覚めたら左胸全摘ということもあります。」と言われ、初めて術後のブラジャーが気になり、看護師さんから渡された乳がん用の下着カタログを開きました。
そこに並ぶ下着は、痛みを和らげるサポート用品 …私が愛してきた美しい下着とは別物でした。
乳がんを克服するために胸を切除するのに、下着は「私、一生乳がんです!」というラインナップ。「私にはもう美しくある権利はないのか!」と怒りを覚え、カタログを壁に投げつけ、乳がん罹患後初めて泣いた夜でした。
4.痛みと再挑戦-「無理やり美しさを選んだ結果」
手術を受け、麻酔から覚めて見た私の左胸は、形こそ歪になっていましたが残っていました。部分摘出で済んだのです。
乳がん手術を経験された人にはわかることなのですが、手術後はどうしても傷を治そうと身体が頑張るため、廃液が溜まるのです。
全摘の方はその廃液の分泌が落ち着くまでドレーンを入れ、廃液を外に排出するのですが、私は部分摘出だったため排出はせず、体が吸収するのをゆっくり待つため切除した左胸の方があっという間にカンカンに大きく浮腫んでしまいました。
ですが、私はまだまだ痛みの残る退院の日ですら、無理をしてそれまで着けていたブラジャーで帰りました。
今はわかるのです。それがどれほど愚かだったかを。術後の浮腫みだったり痛みに対しては、やはり術後のケアブラジャーが必要なのです。
その時に無理をした私の傷は、今でも少し広がり気味です。馬鹿なことをしました。
ですが当時の私にはどうしても、「私、一生乳がんです!」と宣言しているような、ただ傷に優しいだけのブラジャーを着けることは、それまでの自分を否定されているように感じ、できませんでした。
5.転機-「親友の炎症性乳がん罹患」
主治医に「絶対に再発するタイプだから」と言われたけれど全くそんなことはなくすっかり乳がん罹患を忘れて過ごしていた10年後、大切な親友が右胸の炎症性乳がん罹患を宣告されました。
この出来事は自分が罹患した時よりもショックで、親友よりも私が動揺してしまいました。
自分が罹患した時、16人に1人が発症するという乳がん …自分の周りの大切な人には絶対に検診に行くように伝えてきたのに、親友も毎年検診に行ってくれていて、たまたま先回だけ忙しくて行っていなかっただけなのに、よりによってどうして大切な親友が炎症性乳がんなのか?どうして1ヶ月も待てずに全摘手術を受けなければいけないくらいの状況なのか …本当に恐怖でした。
そして思い出したのです。
10年前のあの日、乳がん手術後の下着のラインナップにショックを受け大泣きしたことを …。
全摘手術の日がすでにきまっている親友に、自分と同じ思いをさせたくないという強い決意を抱きました。
大切な親友に、自分と同じ思いをさせるまい!
彼女が術後の人生を生きるための美しいランジェリーをプレゼントしようと思い立ちました、
6.行動-「美しい乳がん用下着を作る決意」
検査が進み、驚くほどの速さで手術日や治療計画が進む親友に「彼女が術後の人生を美しく生きるためのランジェリー」をプレゼントできる、それだけが私にとって彼女にしてあげられることでした。
ですが、私の罹患から10年も経過しているのに、いくら市場を調べても乳がんに罹患した人に対してのブラジャーのラインナップは10年前と全く変わりのない、ただ術後の傷の痛みに対して優しい···優しい“だけ”のブラジャーでした。
違う、これは確かに必要なブラジャーかもしれないけれど、私が求めているブラジャーではない。
私が求めるものは、親友が乳がんの治療を頑張って、乳がんを克服したその後の長い人生を、術前と同じように美しく胸を張って生きるためのブラジャーなのです。
どうして無いの? 乳がんサバイバーは手術をうけて治療をしたら、乳がんは卒業のはずなのに! その後の人生は今までと変わりないはずなのに!
「世の中に、乳がんサバイバーが術後の人生を美しく生きるためのブラジャーがないなら、私が作ろうじゃないの! 当時そういう商品があったら私の心は救われたはず。同じように悲しい思いをするサバイバーさんはいるはずだから。」
そんな大きすぎる使命感が生まれた瞬間でした。
7.試練と喜び-「地獄とミラクル」
「乳がんサバイバーが術後の人生を美しく胸を張って生きることができるブラジャーを作る」そんな使命感をもった私でしたが、下着作りの過程には次から次に問題が発生しました。
下着に拘って着けていたものの、作る技術はなく知識も乏しいことから、0EM生産をする企業に連絡してもことごとく断られました。
当然です。一個人の私が「乳がんサバイバーのために私と共に美しいランジェリーを作って欲しい」とお願いしても、まず支払い能力があるかどうか不安でしょう。
実際に私の資金は限られており、そのためにお願いしていた補助金のプロ業社に騙されるという失敗まで経験しました。
経営能力に欠けるため、せっかく苦労して出来上がった美しいランジェリー達をどう販売していいか試行錯誤の毎日。
傷に優しいのではなく、美しく生きるためのブラジャーが欲しいと思うのは世界で私一人だったのかも。もう辞めてしまおうか。なんて思うこともしばしばでした。
ただ、ポツリポツリとご注文が入り、お客様より「本当にありがとう!自信をなくしていたけれど、ラネイジュのブラジャーをして鏡を見たら無くなった胸があって涙が出ました!こういうのが欲しかったの!」
というメッセージを頂くことも増え、不甲斐ない私に変わりお客様がお客様を繋いで下さる、そんな店になっています。
8.そして今-「完成した美しさとケアの融合」
私が罹患してから10年経過して親友が乳がんに罹患して、下着業界で働いたことのない私が乳がんサバイバーさんのために「傷に優しいだけではなく、乳がん手術の傷が落ち着いたその後の人生を美しく生きるためのランジェリーがこの世にないのであれば私が作る」そんな身の程知らずな使命感に駆られて立ち上げたラネイジュですが、もしその時にもっと知識があったのなら…私はラネイジュを立ち上げはしなかったと思います。
身の程知らずではありますが今までの紆余曲折は、ラネイジュを必死に探し当てて下さるお客様のもとにお届けするために私の手元でスタンバイしている美しい商品達が出来上がるために、必要だから起こったことだと今の私には思えるのです。
知識が無いために原価低減で一切妥協する事なく作り上げたラネイジュのブラジャーは、お洋服をお召しになった際に商品毎に美しい胸のラインを形作る、ラインにも素材にもこだわり抜いた美しい商品です。
乳がんサバイバーさんは勿論のこと、年齢が進むに従い胸のラインが変化していくことを寂しく思っている方、胸にコンプレックスのある方にも自信を持ってお薦めできる商品になっております。
9.これから-「竹内よりエール」
ラネイジュは、年齢や様々なコンプレックスに左右されず、美しく生きると決めた女性のために、これから先もご縁を頂いたお客様をサポートしてまいります。
「もう若く無いから」「私は乳がんだから」「胸が無いから」「胸が大きすぎるから」
もしそういうお悩みで美しく生きることは無理だと考えているのなら、どうぞラネイジュを頼って下さい。ご自分の人生、一度きりの人生をどう生きるかを決めるのは、貴女ご自身です。
私は高齢である事、乳がんサバイバーである事も受け入れた上で、誰がなんと言おうと美しく生きたいと願っています。